浄安寺の墓地は、戦災(昭和二十年)に合う前には、本堂の南側、東側にありました。

戦災で津の市街地は75%が焼野原となり、浄安寺の周辺もあたり一面ガレキの山となりました。

津市の再建のため戦災復興事業がはじまり、昭和三十二年~三十四年頃に墓地を偕楽公園の西(現在の墓地)に移転されたのであります。

無憂堂は、この墓地改修の時、檀信徒皆様の先祖のお骨を分骨して昭和三十二年に建立されました。

第二十八世 昭瑞上人と当時の世話人の方々がお寺と墓地が遠く離れることを悲しみ、又津市の復興のため大きな決断を余儀なくされた結果です。

よって無憂堂は、本堂、墓地と共に当山にとっては特に大切な聖なる施設であります。

現在も新たな仏様が出来た時に、お骨の一部を分骨させて頂いております。