本堂

昭和20年の津大空襲後、第二十八世 昭瑞上人と当時の檀家信徒様の協力もあり、旧本堂を建立。

約30年、ご先祖様お護りしてきましたが、伊勢湾台風後、老朽化が進みました。

その後、昭和54年3月に現在の本堂の建設工事が開始し、昭和55年6月に完成致しました。

阿弥陀如来様

当山、開山以来、約400年お護り頂いている仏様です。

昭和20年の津大空襲の際は、檀家信徒様の協力もあり、布団にくるみ防空壕へ避難して頂きました。

 

画面右より勢至菩薩様、阿弥陀如来様、観音菩薩様です。

 

薬師如来様

当山、檀家様より寄付して頂き、2016年に改修し、飾らせて頂きました。

 

観音菩薩様

当山、檀家様より寄付して頂き、飾らせて頂いております。

毎月23日には当山婦人会の方々と観音講を開き、西国三十三所御詠歌を唱えさせて頂いております。

善導大師様

(本堂向かって右側)

 

 中国浄土教の僧侶であり『称名念仏』を中心とする浄土思想を確立されました。

直接ではありませんが法然上人の師匠にあたります。

 お二人は夢の中でお会いされました。

 

どのようにすれば皆が救われるのだろう?何処に皆が救われる教えがあるのだろう?と悩み、経典を何度も読み直していた法然上人の目に、善導大師様が著した『観経疏』の一文(極楽往生を願い、心から南無阿弥陀仏と唱える方を一人残らず極楽へ迎えとる)が飛び込み浄土宗が生まれました。

 

 

善導大師様と法然上人が夢の中でお会いになられた絵です。

法然上人

(本堂向かって左側)

 

平安時代末期1133年(長承2)

美作国(今の岡山県)に武士の子と生まれた法然上人(幼名勢至丸)は13歳で比叡山に登り、天台宗の修行と勉強を始めました。

善導大師様の著書(観経疏)によりお念仏こそ、全ての人々が救われる教えであることに間違いない、と確信を得たのです。

1175年(承安5)43歳の春、浄土宗は開かれました。

本堂正面欄間にある雲中菩薩です。

2019年3月に完成致しました。

京都宇治市にあります、平等院鳳凰堂の雲中菩薩を前住職(29世 安蓮社心誉立兵上人)が見て仏師さんに彫って頂きました。

欄間製作をして頂いた、仏師さんとの写真

建立より約40年が過ぎ、本堂の妻の部分が老朽化し、色が剥がれてきたため、令和元年 10月より改修(塗装)を行いました。

足場を組んで職人さんに塗装して頂きました。

令和元年 12月に本堂の妻の改修(塗装)は完了しました。

 本堂欄干も腐食にて老朽化しております。 鐘楼門の改修が完成次第、取り掛かる予定です。

令和2年 6月16日 完成