当山のお地蔵様は、浄安寺、第三世聖蓮社ギュウ誉上人露牛大和尚が元和元年(1615年)に阿漕浦海岸より拾い上げておまつりしたと言われております。
昭和二十年、津の大空襲の際、地蔵堂炎上と共に倒壊、お地蔵様の腰より下は修復出来ぬ程の被害を受けました。
以来、三十六年間、野外でおまつりしていましたが。昭和五十六年十月二十九日、旧本堂の唐破風(からはふ)の玄関を再利用し完成致しました。
昔より、雨が降りそうになるとお地蔵様が濡れてくるというので、『潮ふき地蔵』とも言われていました、
阿漕の海より当山へ来られたという縁を考えると、『海』と『雨』(水)何か関係があるようなお話でもあります。
お地蔵様は『代受苦』と言って、我々の苦しみを身代わりになって受けて頂けるということで大変親しまれています。
尚、このお地蔵様は仏教でいう、『与願印』の『願掛け地蔵』でもあります。
地域では『岩田の地蔵様』と呼ばれています。
2017年 7月 東海テレビ番組『スイッチ』の取材を第二十九世、片岡立兵上人が取材を受けました。
(東海テレビ 高井アナウンサーと)
地蔵堂に置いてあります『撫石』(なでいし)です。
身体の悪い所をなで、その手でこの石をなでると悪い所が良くなると言われています。
当山檀家信徒の瀬古様が四国八十八ケ所、第十二番霊場、焼山寺へお参りされた時に頂き、当山へ寄付して頂きました。
地蔵堂においてあります『重軽石』(おもかるいし)です。
この石を手に持って軽いと思った日は身体等の状態が良く、重く感じた日は良くないと言うことであります。 昔のヘルスメーターのようなものであります。
当山檀家信徒の瀬古様が瀬古様が四国八十八ケ所、第十二番霊場、焼山寺へお参りされた時に頂き、当山へ寄付して頂きました。
六地蔵様
右の六地蔵様は江戸時代、元禄十五年頃の作で三百年以上の歴史があります。
しかし、昭和二十年の津大空襲でほとんどが傷ついてしまいました。二度と戦争をしてはならないという思いを込めて修理して新しいお地蔵様(画面左、平成二十八年建立)と一緒におまつり致しました。
お寺へ来られた際は、是非お参り下さい。
8月24日には当山の地蔵盆のお参りを檀家信徒様とさせて頂いております。
昨年(令和元年)の地蔵盆の様子です。 お参りの後は、ささやかながら花火をしました。
令和2年 8月24日の当山地蔵盆の様子です。
例年、檀家さんと一緒にお参りをし、花火を行うのですが本年は、コロナウィルス蔓延のため規模を縮小してお参りをさせて頂きました。
近所の方々は昼間や夕方にお参りに来て頂きました、ありがとうございました。